ワクチン開発から食糧危機まで 蚕は地球の救世主!?
突然ですが…
蚕(カイコ)ときいて、どんなイメージをもちますか?
幼虫や蛾は、その見た目から苦手に感じる人も少なくないようですが、おおむね絹糸(シルク)を作り出す昆虫といったところでしょうか。皆さんの中では、小学生の頃に夏休みの課題で飼育した経験のある方も多いかもしれません。
今では蚕はハエや蚊、ハチや蝶といった身近な虫たちと違い、普段見たり触れたりする機会がほとんどなく、私たちの日常生活においては影の薄い生き物とさえいえそうです。しかし近年、医薬品の開発や食用としてなど、実に様々な分野でその活用が期待されているのです。
今回は、そんな内なる可能性を秘めた「蚕」についてご紹介したいと思います。
蚕はいつ、どこからやって来た?
養蚕とは「ようさん(またはようざん)」と読んで字のごとく、蚕を養うという意味ですが、その起源は古く、およそ5000年〜1万年前の中国で始まったといわれています。我々人類は絹糸を得ることを目的に、6000年ともいわれる長い年月をかけ蚕を家畜化しました。その結果、蚕は自然界では生存できなくなり、屋内の蚕室(さんしつ)と呼ばれる飼育場で人が手をかけてやらなければ生きられない昆虫となったのです。どんなに緑が豊かな野山へ出かけても、ハチや蝶のように蚕の姿を見かけることができないのは当然なのです。
日本へ養蚕が伝来したのは、およそ2000年前の弥生時代であると推定されています。その昔、中国では絹糸はヨーロッパとの重要な交易品だったため、養蚕技術はもちろん、蚕の卵も国外への持ち出しが禁止されていたほど貴重に扱われていました。しかし、次第に朝鮮半島や日本、アジアだけでなくヨーロッパ各地へと世界中に伝播されていったのです。そんな国家機密ともいえる養蚕が流出した背景には、“密輸説”もあるようですが、いつの世でもそうした話はついてまわるもの。数千年前も今も、人間の思考や行動には大きな違いはないのかもしれません。
さて、こうして日本へもたらされた養蚕。弥生時代から始まり、現在に至るまでまさに人の都合に左右され、時代に翻弄され続けてきました。
それでは次に、国内における養蚕の歴史について触れてみたいと思います。
「お蚕様」とも呼ばれた、国をあげての貴重な財源
横浜開港(1859)以降、文明開化の波が押し寄せる中、日本の近代化と経済活動を大きく支えたのが蚕糸業(養蚕・製糸)でした。とりわけ養蚕は明治から全都道府県で行なわれるようになり、昭和初期には全農家の実に4割を占め、日本国民の暮らしを支える一大産業となりました。当時は飼育に適した蚕室造りの家も多く、「お蚕様」と呼ばれるほど大切にされたといいます。
その後、生糸の生産量は増加の一途をたどり、明治41年(1908)にはその輸出量が中国を抜いて世界一に。昭和5年(1930)には繭の生産量が日本史上で最多となる40万トンにまでおよび、「生糸が軍艦にかわる」といわれるほど成長を遂げました。
ここ長野県の上田地域においても、当時は蚕の卵を売る蚕種(さんしゅ)業が盛んに行なわれ「蚕都(さんと)」と称されるほど、国内はもとより広く海外にまでその名が知れ渡り隆盛を極めました。明治43年(1910)、現・信州大学繊維学部の前身となる上田蚕糸専門学校が設置されたことからも、人々がいかに蚕糸業の発展を目指し期待していたかがうかがえます。
しかし中国やインドなど、海外から安くて丈夫な生糸が輸入されるようになり、第二次世界大戦直後に激減。戦後の復興と着物ブームにより一時は国内需要も増えたものの、繭の生産量は昭和43年(1968)に、生糸は昭和51年(1976)にそれぞれ世界一の座を退き、養蚕業は衰退してしまいました。
そして平成30年(2018)になると、養蚕農家は国内でも数百戸にまで減少し、繭の生産においては最盛期であった昭和初期の1/1000以下、年間百数十トンにまで落ち込みました。
このように、一見すると衰退したかのように思われる蚕糸業ですが、果たして本当にそうでしょうか? 改めて見直してみると、私たちの生活の中には着物や衣料品をはじめ寝具やスキンケア用品、また最近ではマスクまで、日常には今なおシルク製品があふれています。海外では1960年代から生糸の生産量は増加傾向にあり、実のところ世界を見渡せばシルクはまだまだ成長産業といえるのです。
さらに近年では、生糸のみならず幼虫や蛹など蚕の生体そのものを使った産業もみられ、日本における新たな活路として注目されています。
令和の世に期待が高まる! 蚕を使った新産業
ところで、なぜ蚕が産業創出の担い手として多用されるのか、皆さんお分かりになりますか?
先に述べたように、蚕は人の都合にあわせて改良されてきたため、とても飼育がしやすいという特性をもっています。毒もなければ強い臭いや攻撃性もなく、幼虫は野外の昆虫と違いあまり動き回ることもなく、成虫(蛾)になっても飛ぶことさえできません。飼育ケースの中で静かに餌を食べ、きちんと世話をすれば発育が揃い、足並みよく蛹や成虫にまで育てあげることができます。それは実験生物として非常に使い勝手がよいばかりか、同時に大量調達ができるという点でも産業利用の大切な要素となっています。
蚕は優良な昆虫工場!?
ここで、ある医薬品の生産工場を例に挙げてみましょう。
新薬などの開発現場では、細胞培養のために無菌室をはじめ大規模な機械設備が必要となりますが、遺伝子組換え技術の進歩により、近頃はそうした場面で蚕が利用され始めているのです。
ある診断薬の製造では、それまで約1000羽のウサギの脳から得ていた成分が、蚕の蛹ならたった40頭で、また別の診断薬では250リットルの培養細胞で作られていたものがわずか20頭の蛹で可能となりました。培養室ではなく、蛹の体内で薬品を生産する。まさに蚕そのものが、機能性に優れた全自動生産工場といえるのです。
さらには蚕の利用に伴い、作業スペースや設備の縮小、また電気やガス、水道代、薬品といった消耗品や廃棄物が抑えられ、大幅なコストダウンが見込まれます。最近では新型コロナウイルスのワクチン開発においても蚕が使われ、大きな話題となりました。
このような蚕を用いた医薬品の生産現場は、昆虫工場と呼ばれています。
蚕が世界の食糧危機を救う!?
一方で、蚕は食用昆虫としても大きく期待されています。
蚕に限らず、蜂やイナゴ、ざざ虫など信州では古くから貴重なタンパク源として昆虫が食されてきました。飽食といわれて久しい現代の日本社会では、そうした食文化はもはや一般的とはいえなくなりましたが、実は刻一刻と状況が変わりつつあるのです。
近頃、様々なメディアで取り上げられていますが、2030年には地球規模での食糧難が予想され、とりわけタンパク質の不足が懸念されています。この先、タンパク質の含有量によって食品の価格が決まる日がやって来るかもしれません。
国際連合食糧農業機構(FAO)は、2013年、世界の食糧問題の解決策の一つとして、昆虫を食用としたり家畜の飼料にしたりすることを推奨する報告書を公表しました。蚕をはじめとする昆虫は、牛や豚などの家畜に比べて餌や飼育スペースも少なく短期間で生産できること、環境にも優しく持続性が高い点も食材となりうる大きな魅力となっているのです。
中でも蚕は、高タンパクで栄養面はもちろん、飼育のしやすさや供給面でも申し分がありません。食用としてのポテンシャルもかなり高く、今後はいかに美味しく食べられるかという点でも開発が期待されています。
そして最後は、絹織物について。
絹(シルク)ならではの光沢と艶から、繊維のダイヤモンドともたたえられる絹織物ですが、その代表格ともいえる着物は、日本が誇る文化として古くより愛用されてきました。着物に仕立てられる布は、一反ずつ巻物となって売られており、一反の標準的な大きさは幅約37cm、長さ12.5mほどあります。
皆さんは、それだけの織物を作るのに、一体どれほどの蚕が必要になると思いますか?
蚕1個体あたりの繭の糸の長さは約1.3〜1.5kmで、一反の絹織物を作るのに、約2700頭もの蚕が用いられているのです。
なかなか想像にはおよびませんが、今後着物に触れる機会があれば、ぜひ豆知識として披露してみてください。
歴史を紐解くと、これほどまで長い年月を人類と共存しながら、実はあまり知られていない蚕のお話。いかがでしたでしょうか?
蚕を話題にすると、「幼虫きもい」と一笑されることが度々あります。しかし、私たちの衣食住に欠かせない蚕は、やはりこの先も人類にとっては運命共同体であり、大切な資源としてなくてはならない存在なのです。
参照:「カイコの実験単」株式会社NTS