農薬と化学肥料を使わずにお米を育てる 東京から福井県に移住して家族5人で暮らす島光さん一家
海と山に囲まれた福井県の若狭町海士坂(あまさか)で、無農薬・無化学肥料のお米を育てる島光毅さんと妻の敦子さん。
お二人とも出身は岐阜県高山市。就農する以前は、毅さんは東京でサラリーマンとして、敦子さんは公務員として地元の市役所に勤めていました。
そんな島光さんたちが大切に育てたお米は、近くの集落から都市部までたくさんのファンがいます。
今回のインタビューでは島光さんに、農業を始めたきっかけや若狭町での農業研修、どのように無農薬のお米を育てているのかなど、お話を伺いました。
サラリーマンから米農家へ転身
ーー農家になる以前はどんなことをされていたのですか?
毅さん 僕は東京の大学を卒業後、最初は公認会計士事務所に就職して、社労士業務と税理士業務を手伝っていました。数年後に転職して、外国為替の会社に企業内社労士として就職し、5年働いて30歳の時に辞めました。
ーーサラリーマンをなぜ辞められたのですか?
毅さん いろいろあるんですけど、都会暮らしがしんどくなったなあというのはずっとあって。もともと、資格を取ったら地元に帰って独立したいと思っていたのですが、30歳の時に仕事がすごくハードになって、家に帰るのが夜中2時とか3時とかで、これは体壊すかなと思って。そのタイミングで一回辞めまして、それから1年ぐらい好きなことをして過ごしていました。
ーーその1年はどんなことをされていたのですか?
毅さん 山が好きだったので、日本中の山を巡ったりしていました。その頃、たまたま旅先の本屋さんで、岩澤信夫さんという方の不耕起栽培の本に出会い、読んだら「これだ!」と思ったんです。 本に連絡先が載っていたので、 買ってすぐに電話して。千葉県の成田で不耕起の塾(自然耕塾)をやっていらっしゃったので、そこに1年間通って勉強させてもらいました。
ーー本を読んで、どういうところに「これだ!」と思ったのですか?
毅さん 「誰でもできる」みたいな風に書いてあったので、これなら自分でも出来るんじゃないかと思いました。機械はいらないって書いてあるし、耕さなくて良いのならトラクターもいらないだろうし、できるだろうと。農業の経験がある方だと「不耕起なんて無理だ」と思うのかもしれませんが、先入観がなかったので。
ーー耕さなくていいなら自分でもやれそうだと
毅さん 結局、1年間塾で勉強して分かったのは、そんなに単純なものでは無いということですね(笑)。それでも面白かったので、他でアルバイトをしながら1年程通っていました。
不耕起栽培は、前の年の株が残った状態のところに田植えをしていくのです。独立就農してから実際にチャレンジしてみましたが、とても難しくて、結局今は不耕起栽培をやっていないんですけど。ただ、実際に岩澤先生から教わったことや思想みたいなものが、農業をやろうと思った大きなきっかけになりましたね。
ーー不耕起栽培がきっかけになったのですね。その後はどうされたのですか?
毅さん 自然耕塾に通っている時に、「農業人フェア(農業法人や行政の各自治体が参加する就農イベント)」が池袋であると聞いたので、そこに行って受付で「不耕起栽培がやりたい」と相談したら、「田んぼをしたことがないなら、稲作について体系的に一から学べる『かみなか農楽舎』というところがあるから、一度見てみるといいよ」と、福井県にある『かみなか農楽舎』を紹介されました。そこで農楽舎のブースで話を聞き、その後すぐに2週間ほどインターンに行って、翌年の2012年4月から農楽舎の正式な研修生となり、2年間勉強させてもらいました。
移住後の人間関係も体験できる「かみなか農楽舎」
「かみなか農楽舎」は、福井県若狭町、地元農家、民間企業が共同出資した会社。都市の若者の就農・定住事業を主に、農業人材の育成や農作物(米、野菜)の生産などを行っています。研修期間は2年で、国からの青年就農給付金(年間150万円)、法人からの給付金(年間60万円)のいずれかを選ぶことができるそうだ。
かみなか農楽舎のHP https://nouson-kaminaka.com/
ーー岩澤信夫さんの自然耕塾に1年通った後、若狭町の「かみなか農楽舎」の研修に入られたのですね。かみなか農楽舎での2年間はどうでしたか?
毅さん 研修生は住み込みで共同生活をするのですが、正直なところ、この年齢で集団生活するとは思っていなかったので、楽しいこともありましたけど、やっぱりちょっと面倒くさいこともありましたね。
ーー研修生は同じ施設で暮らすのですか?
毅さん みんな農楽舎に住み込みで、食事作りは当番制、お風呂も共同で、洗濯機も1台しかないので、空いている時に順番に回して。
敦子さん 研修生以外にも人の出入りが多いんです。最近はコロナであまり来てないだろうけど、学生とかインターンもたくさん来ます。
毅さん 稲作の研修施設で、2年間体系的にしっかり学べるところは、他にあまりないらしくて、全国の自治体などからたくさん視察に来られます。かみなか農楽舎を立ち上げた当時、町(旧上中町)の行政担当や地域に強い思いのある方がいたりして、行政・集落・協力企業が一丸となって実現できたらしいですね。
ーーインターンがたくさん来られるのですか?
毅さん 研修生は基本4月からですが、インターンはいつでも参加できます。期間も決まっていないので、社会人の方が週末3日間だけ経験するとか、夏休みには関西の大学生が1週間~10日間くらい来たり。
とにかく人の出入りが多いので、プライベートがあまりなくて、一人の時間はほぼなかったですね。
農楽舎がある末野という集落に一員として入れてもらうので、集落の行事にも参加するのですが、それがとても良い経験になるんです。総出と呼ばれる畔などの草刈り奉仕作業や、消防団も入りますし、青年会、祭礼などにも参加します。
ーー本当にここで暮らすためのシュミレーションができるのですね
毅さん そうです。
敦子さん 農業じゃなくて田舎暮らし特有の濃い関係が合わない人は、そこで挫折する人もいるみたいですけど。結構、お酒とかも付き合わないといけないですし(笑)
毅さん そこで諦めてしまうケースもありますけど、逆に言うと、研修生の間にちゃんとそこまで経験ができるのが素晴らしいと思います。なかなかないですよ、そんなところ。
敦子さん 移住者でトラブルになる原因の一つは人間関係なので、正式に定住する前の研修生の間に、そういうことを経験できるのは大きいと思います。
毅さん 農楽舎の卒業生は、卒業後の定住率が約6割で、農業系では圧倒的に高いみたいです。現在、若狭町に定住している卒業生は25、6人いるのかな。農地面積でいうと、若狭町全体の田んぼの約1割を農楽舎の卒業生が担っています。しかも、多くの人が結婚して子供を産んでいるので、家族もみんな合わせると全部で150人くらいになるんじゃないかな(笑)
ーー農楽舎の卒業生がそこで就農する場合は、住居や田んぼを紹介してもらえたりするのですか?
毅さん 僕はたまたま運が良くて、農楽舎で研修している間に、農地も住居も良いタイミングで決まったんです。町に農楽舎担当の職員の方がいて、その方が地域との間に入って、色々手続きをしてくださいました。やっぱり、どこの誰かわからない人がいきなり貸してくれと言っても、なかなか借りられないと思うのですが、「農楽舎の○○です」と言うと「農楽舎なら知っとるし」と。
ーー地元の人にとって農楽舎が信頼になるんですね
毅さん そうですね。この集落には農楽舎出身の先輩農家さんもいらっしゃるので、それもあってスムーズに入れていただきました。
今は、田舎はどこも空き家がたくさんありますが、人は住んでいないけど仏壇があるとか、誰にでも貸したくないとか、なかなか難しいケースもあるようですが、この家の家主さんはとても快く貸して下さって、移住後も色々と気遣って下さったりと、本当にありがたかったです。
ーーでは、就農したけれど住む家が見つからない人もいるのですか?
毅さん はい。若狭町がやっている 「就農支援ハウス」というアパートがあるので、研修生を終えたあと、住居が決まるまでは何年かそこに住んで、田んぼのある集落まで通いながら就農している卒業生もいます。僕の場合は独立就農と同時に住居も決まって、家族もいたのでとてもありがたかったですね。
つながりがあれば機械は何とかなる
ーー「米農家はお金がかかる」と言われるのは本当ですか?
毅さん 全て一から揃えたら、莫大なお金がかかります。でも、僕はこの集落に入れてもらった時に、集落の方から、もう現役を引退するので機械を全部やると言われて。でもタダという訳にはいかないので、それでも格安で田植え機、収穫に使うコンバイン、田んぼを起こすトラクター、その他諸々の付属のものを譲っていただきました。
敦子さん 1年に 1ヶ月くらいしか使わない機械が何台も必要なんです。
毅さん コンバインは収穫期しか使わないので、9月~10月の2ヶ月弱くらい。田植え機は5月いっぱいぐらいで、播種機もそうです。トラクターは春と秋に使いますけど。
ーー他にどんな機械が必要なのですか?
毅さん 天日干しするお米以外は、コンバインで刈取と脱穀をした後、乾燥機に入れて乾かします。乾燥機は新品で買うと1台100万円ぐらいですね。で、乾燥したら、籾殻を取ってあげる籾摺り(もみすり)という工程があって、籾摺り機という機械が要ります。その後に傷や斑点、色のついたお米をはじく色彩選別機という機械を使うんですけど、それが300万円くらいします。それをまたリフトで運んで、最後にお米の粒の大きさを揃える別の選別機を通し、ようやく商品にできる玄米になります。機械を全て新品で揃えたら数千万円。コンバインは大きさにもよりますけど1000万円ぐらいしますし。家が一軒建つほどですよ。
ーーとても高額になるのですね。機械の費用のことは就農する前から知っていたのですか?
毅さん いいえ。最初に僕の読んだ本には、機械はいらないと書いてあったので、まぁなんとかなるかな、と甘い気持ちで来たんですけど。
結局、やっぱり機械がないと出来ないのですが、引退されたり、買い換えなどで不要になった人から譲って貰ったり、中古で安く購入したりして。もちろん新品で購入した物もありますけど、意外となんとか、あまりお金をかけずに揃えることができました。
それも、農楽舎を通じて、機械が不要になった方を紹介してもらえたお陰です。
全国でも田んぼを辞めていく人は多いと思うので、不要になった農機具が、新規就農者や必要な人の手に渡って活用されるような仕組みがあると良いですよね。
敦子さん 地域でネットワークができていれば、成り立つのではないかと思います。機械を処分するのもお金がかかるから、使っていない機械をそのまま放っておく人も結構いるそうなので、もったいないですよね。
毅さん つながりが大事ですね。
手をかけ目をかけ、心を込めて育てる
農薬、化学肥料を使わずに育てたお米の半分ほどは、稲架掛け(はさがけ)で天日干しにします。手間と時間をかけて日光をたくさん浴びたお米は「天日」、「光」という商品名で販売。島光さんのホームページから注文できます。
島光さんのHP http://shimahikari.jp/
ーー5月の田植えの後、除草はいつまで行うのですか?
毅さん 除草には、最初に田植え1週間後に入って、それからまた1週間後ぐらいに入って、さらにまた10日後ぐらいに入ります。
その間に稲もぐんと大きくなって、雑草に負けないくらいになれば、その後入らなくてもいいのだろうけど、なかなかうまくいかないこともあって、その後は田車ではなく手で草取りしたりするので、5月半ば~6月いっぱいまでやっています。
ーー田車や手で除草されているのに驚きました。乗用式の除草機などは使ったりしないのですか?
毅さん そうですね、機械が高価ということもありますけど、除草機だけでなくて、機械でやるとロスが大きくなるんです。大規模に広い面積を耕作していたら、ちょっとぐらいロスが出ても、どんどんやってスピードアップして収量上げて、となるんでしょうけど。私たちが無農薬のお米作りをしている意味というのは、心を込めて作るというか。目が行き届かなくなるほど機械で大量に作って、というのはどうなのかなと。
敦子さん 手をかけたり、目をかけたりするのが大事なことなので。
毅さん ただ年を取ったらわからないですけど。60歳70歳になった時に、今と全く同じでは体がもたないでしょうから、やり方や面積を考えないといけないかなと思いますけど。今は毎日、半日くらい田んぼの中を歩き回るので。
ーー手作業で除草するのは、大変なのですね。自由な時間はどれくらいあるのですか?
敦子さん 季節によってメリハリがあります。春の田植えと秋の稲刈りの時期は朝から晩まで農作業ですけど、真夏は暑すぎてそんなに田んぼに出られないので、朝と夕方に草刈りをして昼は長めに休憩したり、昼の間に家事をしたり。会社に通勤しなくていいし、自分でコントロールできるのがいいです。
毅さん 土日休みとかではないですけど、雨が降った時は平日でも休みになることもあるし、全部自分で決められるのが、すごくありがたい。僕はサラリーマンより今の生活が合っているので、サラリーマンには戻れないですね。それに、“仕事”だという感覚はそれほど無くて、自分や家族が日々食べるためのご飯を育てているというか。だから辛いとかはないですね。
「こんなうまい米を食べたことがない」
ーー無農薬でやろうと思ったきっかけは何ですか?
毅さん きっかけというか、初めから無農薬でやりたかったんです。そういうものを自分も食べたいので。
もともと砂漠の緑化とかに関心があったりして、昔から環境問題には気持ちが向いていたような気がします。社会人になってからは、趣味で登山やトレイルランニングをしていて、自然の中にいると、化学物質などの影響が気になったり。
今は結局、全部の面積を無農薬栽培にするのはどうしても無理なので、一部農薬を使っている田んぼもあるんですけど、そこは割り切ってやっています。
ーー環境を大切にしたいから無農薬で作られているのですね。
毅さん そうですね。農薬だけでなく、化学肥料も使用しません。化学肥料を使うというのは、人間でいうとサプリメントだけで育ったみたいな、すごく不自然な感じというか。その栄養素だけをぎゅっと集めたみたいなのが、やっぱり味に大きく影響するような気がするので。
敦子さん 味に影響するのは、やっぱり農薬より肥料だと思いますね。
ーー逆に農薬や化学肥料を使ってお米を育てることが、なぜ普通になっているのでしょうか?
毅さん それは結局、 多くの農家さんは独自に販路を持っていないので、JAに卸すことがゴールになっているからでは。JA に出す農家さんは「量」に応じてお金が入ってくるので、少しでも反収を上げようと、化学肥料を使って収量を増やす訳です。
ーー収穫量を上げるために農薬や化学肥料を使っていると。
毅さん そうですね。JAの買取価格が安いので、儲けたいというよりも、収量を増やさないと割に合わないのじゃないかと。結局、高価な機械代をペイしようと思うと、やっぱりたくさん穫って効率よくしないといけない。
かといって、農家さんがみんな直接お客さんと取引しようと思ったら、それだけ販売先を開拓しないといけない。なかなか、そんなノウハウがなかったり手間をかけられないから、 JA に出荷してしまえば、そこから先は心配しなくて良いから楽なんですよ。
ーー島光さんは独自に販路を作られていますが、1年目からできていたのですか?
毅さん そうですね。ほんとにありがたいことに、ちょっとずつ増えていきました。最初は京都市でオーガニックの八百屋をしている方に紹介していただいたりと、京都のお客さんが多かったのですが、最近は地元の方も少しずつ増えてきています。
近隣の集落の方がお米を買ってくれるというのが、一番いいなと思いますね。やっぱり食べる人にとっても、生産者の分かる、身近な所で育ったお米の方がいいじゃないですか。
どこでどんな風に育ったかということが大切
ーー最後に、「食べること」についてどう考えていますか?
敦子さん 食べることは、命を作る基本です。私たちは、肉体だけじゃなくて、心とか精神を作るものを育てていると思っています。だから、ただ無農薬がいいとかではなくて、どういう所でどんな風に育てられたか、そこが一番大事なのかなと思います。
無農薬でも工場で育てられた野菜がありますけど、「無農薬」や「オーガニック」というブランドではなくて、もっと本質的な部分というかね。
ーー太陽の光や山の湧き水といった自然の中に、目には見えないけれど人の体や心にとって必要なエネルギーが入っているのでしょうね
敦子さん そういうものが一番、自分たちの心とか精神を作るものになると思うので、私たちもそういうお米を作りたいと思っています。もちろん、私たちも生活の中で日々食べるものは、スーパーで買ってくるものもあるし、全部が完璧にはできないけれど、気持ちとしてはそんな感じです。
編集後記
子どもの頃から環境を守ることに関心があったという島光さんが、現在は自然の中でさまざまな生き物と共に過ごし、できるだけ環境に負担をかけない育て方でお米を栽培されていることがとても素敵だと思いました。
記事内では紹介しきれませんでしたが、島光さんが冬に作る無農薬の米麹もお客さんから評判だそうです。
自然豊かな海士坂で心を込めて育てられたお米は、これからもたくさんの人の心と体の基になるのでしょう。
島光さんのHP http://shimahikari.jp/