150年続く養蚕農家の6代目、芦澤洋平さんにインタビュー
農家といっても米から野菜、果樹や花きなど実に様々ですが、今回ご紹介する芦澤洋平さんは、山梨県富士川町で150年続く養蚕農家の6代目。かつては一大産業として日本の近代化に大きく貢献した養蚕業も、時代の流れとともに衰退の一途をたどり、今や日本では貴重な存在とさえいえるかもしれません。
しかし、世界的にはまだまだその需要は高く、将来は地球規模で我々人類を救う救世主ともなりうる、大きな可能性を秘めているのです。芦澤さんに養蚕業の現状からその魅力、今後についてお話をうかがいました。
幼い頃は嫌だった、農家を継いだ訳
ーー150年続く養蚕農家の6代目とは、すごいですね。
家業を継いで7年目になります。一旦、逃げ出してはいるのですが(笑)。幼い頃、祖父母と両親に加え、海外からの研修生も来て、皆で養蚕をやっている姿を見て育ちました。私が小学校の頃には、すでに周囲で養蚕農家をやっているところは少なく、サラリーマンをしている友人の家がとても羨ましくて農家は嫌いでした。手伝いもしましたし、カイコ自体は嫌いではなかったですが、やっぱり嫌だったんですね。
ーー見直すきっかけはあったのですか?
両親から跡を継げと言われたことはありません。動物が好きだったので飼育員になろうと思って学校へ行き、就職先の動物園ではゾウの飼育をしていたんですよ。その頃、職場で実家の話題が出るようになって、「養蚕農家やってます」なんて話すうちに気がついたんです。養蚕業、実は面白いんじゃないか、と。
ーー月給をもらう生活から一転、不安はありませんでしたか?
若かったので、楽しさややりたいことを優先しました。収入は減りましたが、暮らしていけるのでいいかな。でも、今でも外で働いた方が収入もよく安定しているとは思います。お金の面だけ考えたら、養蚕農家なんて継がずに絶対そちらの方がいいですもん。
ーー地元で養蚕農家が減少していった原因も、そのあたりにありそうですね。
父がまだ若かった、30〜40年前頃から減っていったようです。理由は糸が売れなくなった、他にもいい仕事がでてきた、などでしょうね。そんななか、何故うちがここまで残ったのか最近考えるんですが、祖父や父が頑固だったからという要因が大きかったと思うんです。桑畑を果樹園にしよう、など話は色々あったと思うんです。でもそうした話を受け入れず、ずっと続けてきたというのは、やっぱり彼らの頑固さからではないかと。はたから見ても養蚕農家なんかやめて、サラリーマンになった方が楽なのに、と思うのは当然のことですから。
60代後半でもまだまだ若手という、養蚕農家の現状
ーー家業を継いで苦労したことはありますか?
仕事の面では大変なこともありますが、それほど苦労ではありません。それよりも最初の頃は、考え方の違いから父と衝突することがありました。私もそうですが、向こうも大変なストレスだったと思います。
当初、私は繭を大量に生産するのではなく、より良い繭を作りたい、量より質にこだわりたいと考えていました。一方の父は、息子が加わったのだから、それだけ生産量を増やすことができるだろうという考え。それは間違いではないのですが、社会的な要因や今後を見据えるとそうではないだろうと私は思ったんです。量か質か、どちらに重点をおくかによって飼育の方法も違ってくるので、お互い譲れなかったといいますか。そんなことも含め一通り喧嘩をしたのですが、最近では距離感もわかり父とは意見を言い合うけれど、だいぶやりやすくなりました。
ー現在、お父様は60代後半。高齢化が進み、70代80代の方々が今なお多くを占める養蚕業界では、まだまだ若手といいます。
父もまだ現役でやりたいことがあると思うのですが、今ではお前の好きなことをやれよ、と一歩引いてくれています。ありがたいですね。私にとって師匠でもあり、仕事でかなわないところもあります。ただ、経験豊富だからといってその全てを鵜呑みにはせず、私も文献を読んだり調べたりして自分なりの研究は怠りません。そのあたりは自身の知識として積み重ねていきたいと思っています。
育てたものをお金にするということ
ーー農家の皆さんにとって、育ててきたものをお金にすることは最も大切なことだと思うのですが、いかがですか?
養蚕農家の場合、繭を売ってなんぼというか、糸に関しては古くからルートができているので、まずはその流れにのるかのらないかだと思います。
繭は昔から買取単価に助成金や補助金が含まれ、それは海外でもそうですし、まあ当たり前ともいえることなんです。ただ、今はお金がつくけれど、それがなくなった時にどうなるか。誰もやっていけなくなりますよね。私のわがままかもしれないのですが、助成金に頼っていくのは、将来を考えた時にどうなんだろうと思い始めて…。養蚕が盛んな地域でしたらそんな思いに至らなかったのでしょうが、ここ山梨でほぼ一匹狼でやっているので、うちで生産する繭は全て助成金なしでやってみようと考えたわけです。ちょっと厳しいかもしれませんが、まだ私も若いですしチャレンジしてみようと。幸いにも設備や技術などバックグラウンドがあるので、まずは自分が挑戦してみなければ、という使命感のようなものもあります。
ー近年、蚕沙(さんさ:カイコのふん)を使った蒸留酒や昆虫食などでもカイコへの注目は高く、化粧品や住宅メーカーなど、実に様々な業界から声がかかるそうです。カイコの魅力は、その可能性にあると芦澤さんはいいます。
身近なところでは、教材としてもカイコは多用です。飼育を通じて生物学を学び、家庭科では繭を糸にしたりそれで布を織ったり。また歴史の勉強にもなるし、着物はシルクから作られるので日本文化に触れることだってできます。カイコひとつで、これだけ広く学ぶことができるんですよ。
そして産業的な面でも、やっぱり大きな可能性を秘めています。カイコは色々な分野で利用できるので、化粧品や衣料品、食や医薬品などジャンルはいくらでもあります。同時に養蚕の裾野が広がり、業界全体が発展していったらいいですね。
ーー最後に、将来の夢を教えてください。
養蚕に関していえば、1000年後も人類がカイコを飼育していたらいいなと思います。そのためにはどうしたらいいか。農家も生き残る道を模索していかなければいけないし、誰かに頼るのではなく、自分たちでやっていけるようにならなければいけません。
カイコの歴史は、5000年から1万年前といわれるほど古いのに、2021年の現代でもまだこれだけ多くの可能性が残されているなんて、本当にすごいこと。その生態はほぼ変わっていないのにですよ。カイコは人の飼育下でなければ生きていけないし、我々もカイコを利用する。カイコと人がそんな持ちつ持たれるの関係で、これから先もずっと養蚕が続いていけばと思います。
インタビューを終えて
ー近い将来考えられるのは、人の手を介さずAIが飼育を担う次世代養蚕の実現です。だからこそ、我々農家が貴重になってくるのではないでしょうか、と芦澤さん。そこにはここでしか作り出せない「芦澤養蚕のシルク」があり、そこから新たなるブランドとして付加価値を生み出していく、大きなチャンスとなるかもしれません。